2011年3月に発生した東日本大震災から1か月後の避難所では、「栄養の配慮が必要な避難者」の中で最も多かったのが赤ちゃん(乳幼児)だったという報告がある。
避難所生活は水分が制限され、供給される食品も弁当やインスタント食品など炭水化物や塩分が多く、偏った食生活を強いられる。そんな状況下でミルクしか飲めない赤ちゃんは、真っ先に脱水症状や栄養不足からの免疫力低下で、命を落とす危険がある。赤ちゃんの命綱となる「ミルクの確保」は、被災時においてかなり重要な事柄だ。
そこで今回は、災害が起こりやすいこの日本で、赤ちゃんを災害弱者にしないためにと開発された液体ミルク「アイクレオ 赤ちゃんミルク」を紹介したい。
新生児から飲める、母乳に近い「液体ミルク」
「アイクレオ 赤ちゃんミルク」は、江崎グリコ株式会社(以下、グリコ)が開発した、日本で初めての液体ミルクだ。1本125ml。軽くて持ち歩きやすく捨てやすい6層の紙パック(開発元:日本テトラパック株式会社)を採用し、「無菌パック製法」で、超高温短時間殺菌を行った液体ミルクがつめられている。賞味期限は常温で6ヶ月。0歳〜1歳頃までの乳幼児に使用できる。
母乳のように飲んで欲しいという思いから、甘さや塩分はあっさり控えめ。成分と原料にもこだわり、赤ちゃんの消化吸収に良いようアミノ酸バランスと脂肪酸組成も、極力母乳に近づけて構成している。腸内でビフィズス菌に働きかける「ガラクトオリゴ糖」や、DHAに変わる「えごま油」なども配合し、保存料は不使用。人工ミルクとしてのクオリティは国内トップクラスだ。
グリコの公式サイトなど通販で買えるほか、薬局やベビー用品店、スーパーなどでも1個200円(税別)から購入できる。
注ぐだけで準備は完了!
使い方は基本的に2通り。消毒した「哺乳瓶を使う」場合と、「使い捨てカップ(60mlがベスト)」を用いる場合である。
哺乳瓶が手元にあれば、パックに備え付けのストローを差し込み、ストローを通して瓶にミルクを注ぐだけ。
使い捨てカップを使う場合は、哺乳瓶に注ぐ時と同様にパックへストローを挿し、使い捨てカップの半分の高さまでミルクを注ぐ。たて抱きにした赤ちゃん(寝かしたままの姿勢はダメ)の下唇にカップを軽く触れさせ、そのまま静かに傾ける。無理やりミルクを口の中に注ぎ込むのではなく、まずは数滴、唇に触れさせる。赤ちゃんが自分からマイペースで飲めるよう、カップは傾けすぎないのがコツだ。
使用方法はグリコが公式で出している下記の動画でも確認してほしい。
赤ちゃんも親も、ストレスフリー
周りに人がいる状況で赤ちゃんにお腹が減ったと泣かれたら、一刻も早く泣き止んでもらいたいと思う親は多いだろう。だが粉ミルクの用意はお湯を沸かし、機器を消毒し、専用スプーンで慎重に計り、湯が少し冷めるのを待ってからミルクを溶かし、さらに人肌まで冷めるのを待つ……という手順を踏む。手間と時間が必要だ。親にとっても赤ちゃんにとっても、かなりのストレスになる。
液体ミルクは準備から授乳まで約10秒。非常に早い。赤ちゃんを待たせることなく、開けたらすぐに飲ませられる。簡単な作業なので、育児経験が浅い人や、子育てをしたことのない人にもミルクの用意を頼める。
「アイクレオ 赤ちゃんミルク」は2019年3月5日に一般販売が開始され、発売後からすぐに反響があった。災害時の備蓄用にはもちろん、赤ちゃんとのお出かけ時に粉ミルクを作るための用具を持ち運ばなければいけなかった親たちから、「ポーチに入るサイズで荷物が減った!」「粉を測ったりしなくていいので楽!」と、日用品として高評価を受けている。共働き世帯や父子家庭にも重宝されているようだ。
なぜいま「液体ミルク」を勧めるのか?
実は「液体ミルク」という商品自体、1970年代から海外では普及していたものの、日本では2017年まで製造販売が禁止されていた。食品衛生法・健康増進法(特別用途食品)ともに、母乳代替品は「粉ミルク」しか基準が制定されていなかったからだ。
蛇口をひねればすぐに水が出るこの国では、水に溶かすタイプだけでも育児は十分と思われるかもしれない。しかし日本は災害大国でもある。断水や停電が起きれば話が変わる。
被災時に粉ミルクを作るための清潔なお湯を手に入れるのは難しい。災害のショックや避難所生活など環境の変化により、ストレスや栄養不良で母乳が出にくくなる母親も多い。残念ながらそうした現状は、長い間見過ごされてきた。
だが、2016年の熊本地震で大規模な断水が起きた時、フィンランドから届けられた液体ミルクが脚光を浴びた。フィンランドでは人工乳の約9割を液体ミルクが占めており、一般的なスーパーで普通に販売されている。支援された液体ミルクのおかげで、水不足に見舞われた被災地にいる乳児家庭がたくさん救われた。
この出来事をきっかけに、全国で「災害の多い日本でこそ普及を!」と、液体ミルクの必要性を求める声が急速に高まっていく。
そして2018年8月、厚生労働省によって基準が設定され、ようやく日本でも液体ミルクの製造・販売が解禁されたのである。
グリコ社員の信念で開発された「アイクレオ 赤ちゃんミルク」
解禁されてすぐには国内で製造するメーカーがないため、海外からの輸入品が自治体などへ備品として配給された。一般への流通はなかった。
そんな中、熊本地震が起きた2016年時から、グリコのベビー・育児・果汁・清涼飲料マーケティング部にいた 水越 由利子 氏が「災害の多い日本で災害弱者となる赤ちゃんを救いたい」という想いを胸に、液体ミルクの開発プロジェクトを立ち上げていた。水越氏自身も子育て経験があり、液体ミルクの必要性を強く感じていたという。
研究開発担当の 永冨 宏 氏を中心としたチームが中身を丸2年かけて作りあげ、日本初の液体ミルクが完成。法律改正からわずか5ヶ月で製造承認を取得し、約1ヶ月後には「アイクレオ 赤ちゃんミルク」として、一般販売を実現させた。その速さはグリコ社員たちの信念の賜物である。
災害下での液体ミルクの活躍
販売開始から6ヶ月後の2019年9月に、房総半島へ台風15号(令和元年房総半島台風)が直撃し、千葉県を中心に広い範囲で停電が長時間発生した。翌月には、東日本から東北にかけて台風19号(令和元年東日本台風)が上陸。どちらも近年まれに見る甚大な被害をもたらした。
グリコは千葉県や農林水産省からの要請を受け、被災地に「アイクレオ赤ちゃんミルク」を配送した。状況が落ち着いた後、断水停電の中で避難所生活を送っていた乳幼児の親から、「衛生的なものがあげられる安心感、母乳が出なくなってしまったらどうしようという不安に悩まされることがなかった」と感謝する声が、お客様センターに届けられた。
「アイクレオ 赤ちゃんミルク」は非常用持ち出し袋の中でもかさばらない。飲み終わったパックは潰して小さくなり、避難所でのゴミ処理軽減にも貢献する。災害時の活躍と、薬局やベビー用品店、スーパーなどでも手に入るようになったことから、「防災用」としてはもちろん「日常の育児負担の軽減」に、液体ミルクを常備する家庭が続々と増え始めた。
社会へ浸透しつつある液体ミルク
グリコの一般販売に続いて、他社も液体ミルクの分野に乗り出している。
株式会社 明治(以下、明治)は「明治ほほえみ らくらくミルク」という、スチール缶タイプの液体ミルクを発売した。価格は240mlで215円(税別)。消費期限は1年と2ヶ月(14ヶ月)で、国内最長だ。潰れにくい耐久性や保存期間の長さから、こちらも防災の備蓄に適している。ちなみに現在、液体ミルクを作っているのはグリコと明治の2社だけだ。
NEXCO西日本では、サービスエリアやパーキングエリアで2社(グリコ・明治)の液体ミルクを取り扱う。車移動中でもすぐに飲ませられるため、赤ちゃん連れの家族旅行者に需要がある。2021年2月現在、関西〜九州の49カ所で販売中だ(参考:乳児用液体ミルクの販売SAPAの更新について(2021年2月1日現在)| NEXCO西日本)。
液体ミルクを取り入れ、「防災拠点」として成長する道の駅
企業以外に「道の駅」も、液体ミルクの普及に一翼を担う。
北海道にある道の駅「北オホーツクはまとんべつ」では、外出時の荷物を減らしたいという市民の要望から、24時間いつでも購入可能な子育て応援グッズを集めた自動販売機を作り、その中に液体ミルクを取り入れた。
熊本県阿蘇村の道の駅「阿蘇」では、断水で粉ミルクが使えなかった熊本地震の経験をふまえて、液体ミルクの小売販売を積極的に行っている。
豪雪地帯で車の立ち往生が発生しやすい国道付近にある島根県飯南町の「道の駅 赤来高原」は、自治体およびグリコと協定を結び、「災害発生時に熱源や器具を必要としない食品(液体ミルク、レトルト食品、菓子)」の備蓄を始めた。液体ミルクについては多めに仕入れ、市民へ常時販売しながら売れた分を新たに補充し、緊急時には在庫を食糧として活用する。
メーカーから自治体へ提供される物資は、いざという時に使われるまで保管されっぱなしで、消費期限が切れれば廃棄するのが常である。赤来高原×グリコの取り組みは、一般市民が日常的に買えるようにすることで、自治体の備蓄内に発生する消費期限切れのロスを無くし、市民の子育て支援にもなる一石二鳥の方法だ。
アンケート調査でも普及の手応えが
「アイクレオ 赤ちゃんミルク」の発売から約1年後の2020年に、株式会社ベビーカレンダーが2,484名の母親を対象に行ったアンケート調査によると、90.2%が液体ミルクを知っており、37.2%が使ったことがあると回答した。
同じく2020年にグリコが1歳までの子どもを持つ父親・母親1,000名を対象に行った調査でも、液体ミルクの存在は87.1%に認知されており、実際に使用した親からは「災害備蓄への安心感が増した」との実感が最も多く寄せられている。
明治が全国の地方自治体1,788件を対象にした調査(2020年)では、「現時点で災害時の備蓄として液体ミルクを確保している自治体」は12.7%と少ないものの、備蓄していない自治体のうち「今後備蓄予定がある、もしくは必要性がある」するのは82.8%と、かなり高い割合を占めた。
液体ミルクの周知や利用は順調に進み、災害時の備えとしても浸透してきている。
一般的な液体ミルクの問題点
ただ、まだ一般的な液体ミルクには少しばかり問題点もある。
一つ目は、赤ちゃんによっては飲まない子もいることだ。「常温」が受けつけにくいらしい。あるお母さんの場合、湯煎や移し替えてレンジに30秒ほどかけたり、人肌や使い捨てカイロ、車のエアコンなどにかざしたりと工夫をして温めれば飲んでくれたという。防災用として備蓄するときは、まずバラ売りを買って、赤ちゃんが飲んでくれるかの確認が必要だ。日頃から「家では母乳と粉ミルク、お出かけは液体ミルク」と使い分けをし、味や温度に赤ちゃんを慣れさせていくのも良いかもしれない。
また、国内製造の液体ミルクは、現状アレルギー非対応(アレルギー物質は乳製品と大豆)である。体質的に飲ませられない子もいるだろう。海外ではアレルギーに対応した製品が開発されているらしく、国内でも今後の改良に期待しよう。
二つ目は、まだ液体ミルクについて国内では誤解もあることだ。
液体ミルクは衛生面での信頼性が高く、世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)では、感染リスクが高い赤ちゃんのために、災害時は粉ミルクより無菌状態の液体ミルクを推奨している。
しかし日本では長い間、「育児は母乳か粉ミルクが当たり前」とされてきた。液体ミルクに対する知識の無さは、実際に災害現場で現れたことがある。
2018年9月に起きた北海道地震の際、被災地に支援物資として海外から液体ミルクが送られた。しかし、安全性への不安や使用方法がわからないという理由から、ほとんど使用を選択されずに廃棄されてしまったという。停電や断水が長期化しなかったことや、まだ国内で液体ミルクが流通していなかった時期だとしても、非常に残念なことである。
液体ミルクは無菌で容器に充填される。2018年に厚生労働省に提出されたデータでは、缶・レトルトパウチ・紙パックいずれにおいても、一般細菌、大腸菌、サルモネラ菌などは未開封の保存期間中「陰性」の結果が出ており、安全性が保証されている。栄養成分が保存中に減少することもほとんどない。安心して利用してほしい。
三つ目は価格の高さだ。
「アイクレオ 赤ちゃんミルク」は1本125mlが200円(税別)。125mlという量は赤ちゃんが飲み切りやすいように設定されているが、粉ミルクに比べると、2〜3倍程度割高だ。「明治ほほえみ らくらくミルク」は240mlと多めだが、215円(税別)と、やはり高い。液体ミルクユーザーの中には、サイズの多様化や値下がりを求める声もある。
この点は、今後需要が増えたり生産技術が上がれば、改善されるかもしれない。現段階で価格が気になる場合、粉ミルクや母乳と併用し、遠方へのお出かけ用や防災用と割り切るのが良さそうだ。
まとめ
この国に住んでいる限り、防災は特別なものではない。日常の延長線上にあるものだ。自宅でも液体ミルクは「防災のために蓄えておく」のではなく、消費期限ロスを防ぐという点でも、「日頃から子育ての苦労を減らすアイテム」として活用し、無くなったら補充をするスタイルをおすすめしたい。知り合いで赤ちゃんを育てている方がいれば、ちょっとしたプレゼントとして、(アレルギーの有無を確認した上で)液体ミルクを贈ってみると喜ばれるかもしれない。